リサに教えてもらった事

長かった新型コロナも緊急事態宣言が解除され、まだまだ安心はできないものの明るい兆しが見えてきました。

新しい生活をスタートするにあたり、暗い話を今までかけなくて控えてた話題をこの機会に少しだけ書きます。

じつは以前書いた「ピーちゃんの散歩」に出てくるセキセインコのピーちゃん、そしてゴールデンレトリバーのリサさんはピーちゃんは昨年11月、リサさんは3月に天へと旅立ちました。

このホームページの更新が急にほとんどしなくなったのは、まずはピーちゃんを失ったショックからと言うのがありました。立ち直ってきた約1か月後の12月あたりでリサさんのリンパ腫が発覚、余命宣告は5月だったので

「桜を見るのが目標だね」と言っていたのですが、3月3日ごろ急に歩けなくなりそのまま寝た切り。

食事拒否、水だけは飲むといった形で完全介護のすえ、3月13日に旅立ちました。幸い、見送ることも出来ました。我が家に来て1年半、推定13歳でした。

ピーちゃんの散歩の記事を書いた無くなる1年前のころはの記事の時は口元がへの字だった彼女も

1年もたつ頃はたくさん笑うようになり、甘えるようになり、家族としてリサが自分たちを認めてくれたかな?と思い始めてすぐなので本当にあっという間でした。

来たばかりのころに近所の公園の満開の桜、桜吹雪を楽しそうに見ていたリサ、桜吹雪を見せれなかったのが少々残念ではありますが、、

落ちた花を息子が拾ってきてくれてリサは見ることが出来ました。

我が家に来たばかりのころは、同じシェルター(預かりボランティア宅)にいた小型犬2頭がかりでしっぽをおもちゃにされ、毛を抜かれまくってはげちょろけだったのですが、最後のころはもうふさふさで、立派なしっぽに挟みいれるのがどうしても出来なくて、排せつの後奇麗にするのが手まではありましたが、ハサミは入れませんでした、お尻回りも出来るだけ毛を残しました。

最後、息子がきれいにお花を並べてくれました。立派なしっぽにきれいな花が添えられ。

「しっぽ立派だね、奇麗だね」と撫でてやりました。

リサについては、不思議なこともたくさんあるのですが、それはまた別の機会にすべてまとめられたらなと思いますが、今回書いたのはいなくなって寂しい…という事ではありません。

リサが完全寝たきりになって、約10日でこの世を去りましたが、後半は体をほぼ、動かせない状態でした。ですので、私は一生懸命、彼女が何をして欲しいのか考えました

側にいて撫でて欲しいのか?側にいてくれるのでいいのか、いつもは撫でて欲しいけどゆっくり寝ていたいとか、今は発作で撫でられてると痛いとか色々あると思うのです。お水一つとっても、飲みたいのか、飲みたいけど体制が悪くて飲めないのか、それとも飲みたくないのか、もっと飲みたいのかもういらないのか…などなど、

動けるならしっぽ振ったり前足でかいたり、動いたり表情で嬉しい事、嬉しくないことなど表現できるものも、体に力が入らない子には伝える術がない。だから、その分必死に彼女の気持ちをこちらが感じ取るしかないのです。

必死に感じ取ろうとしたせいか、微動だにしないでオシッコやうんちなどしても、匂いなどではなくすぐにわかるという境地に達しました。

妻には「神がかってる」と言われましたが、なんだかあの時、最後の数日間は当たり前のように感じ取れたんです。

何が言いたいのかと言うと、真剣に知ろうと思えば、ワンちゃんが本当にして欲しい事はいつも一緒にいる飼い主さんなら気持ちを感じ、通じ合うことはきっとできるはず。

ピクリとも動けないワンちゃんの気持ちを感じ取れるなら、元気なワンちゃんの気持ちを感じ取れないはずがないと思うのです。

私は、ワンちゃんの気持ちを感じ、自分の気持ちを伝え、ワンちゃんは飼い主さんの気持ちを感じ、伝えと、ワンちゃんと飼い主さんがお互いの気持ちを感じ取る心を育んでいくことがとても大事だという事を常日頃から思って行動しておりますが。 その気持ちを感じ取る心の真剣さというのでしょうか、それをリサに教えてもらったと思っています。